赤穂夢物語り ~元禄英雄伝~ あらすじ

   <あらすじ> 


 赤穂事件当時、泉岳寺の師家僧「香圓」は、吉良邸推参直後の「大石内蔵助」らを粥でもてなした。 それから30有余年の歳月を経たある日、香圓のもとを「大石大三郎」が訪ねた。これは、この二人の出会いから始まる物語である。


 内蔵助と妻りくの離縁後に二人の三男として生まれた大三郎は、父・内蔵助の姿を目にすることが叶わなかった。 世間では英雄扱いの父・内蔵助。 

 …父の片鱗に触れたい…

 大三郎に募る思いが、香圓和尚と巡り会う原動力となった。

 「そなたの父、内蔵助殿ら赤穂浪士の行いの何たるかは、(浅野)長直公の時代を知ることが肝要じゃ。」と香圓は語る。 


 初代藩主「浅野長直」の時代。

 名高い兵学者「山鹿素行」が、赤穂浅野家に仕官し数年間録を食み、致仕した後に罪人として赤穂の地に流された。その後赦免された素行は江戸で没する。が、数十年に及ぶ赤穂浅野家との深い縁を通じて、素行の教えが浅野家に根付き培われ、家中の者たちに強い影響を与えた。 


 流罪中の9年間は特に、赤穂の子どもたちに国の根本を教授した素行。 「我が国は、どこよりも自然に恵まれ、人物も優秀であり、神代の時代から延々と続く政治や文化、文物、武徳、何を比べても異国とは比較にならないほど優れておる。」 日本一の先生から学んだ子どもたちがやがて成長する。 


 時は流れ… 

 立派な藩主となった「浅野長矩」は、内蔵助と共に赤穂浅野家の全盛期を迎えていた。 ところが、元禄14年3月14日、勅使饗応役を仰せつかった長矩は、江戸城で刃傷事件を惹き起こし、即日切腹。

 お家取り潰しなど幾多の苦難・試練を経て1年9ヶ月後の元禄15年12月14日、亡き主の意趣を受け継いだ内蔵助ら赤穂浪士は、口上を読み上げ吉良邸に推参。 


 口上書に書かれていた彼らの真なる思い、浅野家の大義とは何だったのか?

 初代赤穂浅野家の時代と元禄赤穂事件の関連性が紐解かれることで、現代人が信じていた忠臣蔵史観と全く異なる新生忠臣蔵。 

 元禄の英雄たちの真の物語に、今ようやく、光が当たる!


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